「広告のせいでネットを見たくない」という悲劇を避けるために

私たちの日常に溢れるネット広告

 最近、インターネットで調べものをしているとき、ふとストレスを感じることがあります。 ニュースを読もうとした矢先、画面全体を覆い尽くす広告。私たちは今、かつてのテレビや新聞を凌ぐ巨大な広告メディアの中に生きています。

 しかし、その「進化」の方向は、本当にユーザーのためになっているのでしょうか。

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「閉じるボタン」を探すゲームになっていないか?

 リンク先を偽装した悪質な詐欺広告は論外として、深刻なのは「悪意のないはずの広告」がユーザーの邪魔をしてしまっている現状です。

  • 「×」ボタンがどこにあるかわからない。
  • 「close」なのか「閉じる」なのか、サイトによってバラバラ。
  • 数秒待たないと消せない、あるいはボタン自体が表示されない。

 本来、知りたい情報にアクセスするための「ボタン」を隠すような設計は、本末転倒です。ユーザーは情報を求めてアクセスしているのであって、広告を消すための「間違い探し」をしたいわけではありません。

巨大化した市場と、追いつかないルール

 統計によれば、インターネット広告の収益はすでにテレビやラジオ、新聞といった既存メディアを超えつつあると言われています。

 かつてのメディアには厳しい表現規制や放送倫理がありました。一方で、急成長を遂げたネット広告はどうでしょうか。表示形式や操作性に関しては、いまだに「出した者勝ち」「目立った者勝ち」という野放しに近い状態が続いているように見えます。

「ネット離れ」という静かな反乱

 もちろん、何でもかんでも規制を強めればいいという話ではありません。無料のサービスが広告で成り立っているという側面も理解すべきでしょう。

 しかし、利便性を無視した広告がこのまま増え続ければ、「広告が煩わしいからネットを見ない」「特定のサイトを避ける」という人が増えていくのは目に見えています。これは広告主にとっても、メディアにとっても、そして私たちユーザーにとっても不幸な未来です。

今こそ「標準化」の議論を

 今必要なのは、広告をただ排除することではなく、誰もが迷わず操作できる「標準化」ではないでしょうか。

 「閉じるボタンの位置はここ」「表記はこの形」といった最低限のルールが決まるだけでも、ネット体験は劇的に改善するはずです。

 インターネットがこれからも「便利な道具」であり続けるために。私たちは、今の広告のあり方について、もっと声を上げてもいい時期に来ているのかもしれません。

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当サイトでの広告の扱い

 ここでは「広告―AD―XXXX」といった形式のタグのあと、ひとつのバナー広告を貼り付けています。この広告はスクロールすればそのまま記事の続きを見えるようになっています。もちろん広告はスルーしていただいて構いません。万が一このサイトで不適切な広告が表示されることがありましたら、コメントでお知らせいただければ幸いです。

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